被害者参加制度と過失罰 [生活/くらし]
産経新聞 【あなたが裁く 迫る裁判員制度】遺族「求刑より重く」
■東京地裁 被害者参加で模擬裁判
来年5月21日から始まる裁判員制度を前に、被害者や遺族が量刑に関する意見陳述などができる「被害者参加制度」を取り入れた模擬裁判が3日、東京地裁(森島聡裁判長)で開かれた。遺族は検察側の求刑よりも重い刑を求めた。4日の判決で、遺族の訴えが、裁判員の量刑判断にどう影響するのか注目される。
公判は、飲酒運転による衝突事故で相手の車を運転していた男性を死亡させた危険運転致死事件を扱い、遺族として被害者の妻が検察官の横に座った。
証人尋問以外で発言する機会はなかったが、検察側の求刑(懲役8年)の後、遺族代理人の弁護士が「遺族らの受けた損失と心の傷は計り知れないほど大きく、懲役10年が相当」と裁判員に訴えた。被害者参加制度は、今年末までに導入される予定。同様の模擬裁判は千葉、前橋両地裁などでも行われている。

やはり、という気がします。模擬裁判とは言え、こうした被害者遺族による求刑が行われるだろうということは危惧していました。
遺族を検察席に入れる前も、検察そのものが、亡くなった被害者の写真など、事故の本質におよそ関係ないものを法廷に持ち込み、量刑を重くしようとした経緯が報道されています。
そしてそうした報道も、今回の模擬裁判の遺族による求刑に関しても、マスコミは無批判です。当然と思っているのでしょうか?
何度も批判を書いて来た、結果から量刑を決めてしまおうという考え方です。まずは運/業過致死傷罪そのものに対して、引き続き反対を訴えています。
しかし現行法にこれが存在するため、百歩譲ってこれに依る刑事裁判を行う場合に、こうした考え方をしてはならないと思います。
過失を罰してはならない、そう信じますが、どうしても罰するという時に、結果をもとに刑罰を決定することは正義に反すると思っています。
以前にも書いたように、同じ前方不注意で事故を起こした場合に、電柱にキズをつけただけのドライバーと、複数の人間を死傷させたドライバーに、刑事上事後の運命に大きな差がつくのは、本当はおかしな話と思っていました。
これについては、法の考え方は、「刑罰というのが『既に起ったことに対する反動』という性質のものだから仕方ない」のだというコメントを頂戴したことがありました。これが現行法の考え方であるのはどうにかわかりましたが、過失の内容そのものを問うて罰する考え方とは大きく異なります。
次に被害者遺族の感情、また被害者がどんな素晴らしい、将来を嘱望されていた人間か、などという事項を、量刑を左右する材料に盛り込むことは、被告人のみならず被害者に対しても失礼な話です。
たとえば、東大に合格が決まり、将来官僚を目指していた高校生を事故で死亡させてしまったドライバーと、身寄りのないホームレスを同様に事故で死亡させてしまったドライバー。この両者の量刑に差をつけるつもりでしょうか。そうだとしたら、こんな人権を蹂躙したふざけた話はありません。
被害者参加制度は見直すべきです。そして検察も正しい求刑を行ってもらいたいものです。
■東京地裁 被害者参加で模擬裁判来年5月21日から始まる裁判員制度を前に、被害者や遺族が量刑に関する意見陳述などができる「被害者参加制度」を取り入れた模擬裁判が3日、東京地裁(森島聡裁判長)で開かれた。遺族は検察側の求刑よりも重い刑を求めた。4日の判決で、遺族の訴えが、裁判員の量刑判断にどう影響するのか注目される。
公判は、飲酒運転による衝突事故で相手の車を運転していた男性を死亡させた危険運転致死事件を扱い、遺族として被害者の妻が検察官の横に座った。
証人尋問以外で発言する機会はなかったが、検察側の求刑(懲役8年)の後、遺族代理人の弁護士が「遺族らの受けた損失と心の傷は計り知れないほど大きく、懲役10年が相当」と裁判員に訴えた。被害者参加制度は、今年末までに導入される予定。同様の模擬裁判は千葉、前橋両地裁などでも行われている。

やはり、という気がします。模擬裁判とは言え、こうした被害者遺族による求刑が行われるだろうということは危惧していました。
遺族を検察席に入れる前も、検察そのものが、亡くなった被害者の写真など、事故の本質におよそ関係ないものを法廷に持ち込み、量刑を重くしようとした経緯が報道されています。
そしてそうした報道も、今回の模擬裁判の遺族による求刑に関しても、マスコミは無批判です。当然と思っているのでしょうか?
何度も批判を書いて来た、結果から量刑を決めてしまおうという考え方です。まずは運/業過致死傷罪そのものに対して、引き続き反対を訴えています。
しかし現行法にこれが存在するため、百歩譲ってこれに依る刑事裁判を行う場合に、こうした考え方をしてはならないと思います。
過失を罰してはならない、そう信じますが、どうしても罰するという時に、結果をもとに刑罰を決定することは正義に反すると思っています。
以前にも書いたように、同じ前方不注意で事故を起こした場合に、電柱にキズをつけただけのドライバーと、複数の人間を死傷させたドライバーに、刑事上事後の運命に大きな差がつくのは、本当はおかしな話と思っていました。
これについては、法の考え方は、「刑罰というのが『既に起ったことに対する反動』という性質のものだから仕方ない」のだというコメントを頂戴したことがありました。これが現行法の考え方であるのはどうにかわかりましたが、過失の内容そのものを問うて罰する考え方とは大きく異なります。
次に被害者遺族の感情、また被害者がどんな素晴らしい、将来を嘱望されていた人間か、などという事項を、量刑を左右する材料に盛り込むことは、被告人のみならず被害者に対しても失礼な話です。
たとえば、東大に合格が決まり、将来官僚を目指していた高校生を事故で死亡させてしまったドライバーと、身寄りのないホームレスを同様に事故で死亡させてしまったドライバー。この両者の量刑に差をつけるつもりでしょうか。そうだとしたら、こんな人権を蹂躙したふざけた話はありません。
被害者参加制度は見直すべきです。そして検察も正しい求刑を行ってもらいたいものです。







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