交通事故-福島県大野病院事件と同じ構造 [医療事故]
河北新報 多賀城RV事故、同乗者に有罪 法の限界、罰金選択
多賀城RV車事故で飲酒運転の車に同乗し、酒酔い運転ほう助罪に問われた会社員佐々木大輔被告(30)の判決公判で、仙台地裁は19日、佐々木被告の行為が実質的に危険運転ほう助に当たると判断する一方、その認識がなかったことを理由に罰金刑にとどめた。飲酒運転による悲惨な事故を契機に創設されながら、立証の難しさで逆に被害者らを苦しめる危険運転罪は、限界を露呈しつつある。
判決で、仙台地裁は「運転者の危険運転致死傷の犯行を容易にさせた」との起訴事実(訴因)通りに事実を認定した。
故意の認識が求められるなど構成要件が厳格で、立証が難しい危険運転のほう助罪で起訴された例はなく、今回の訴因構成は検察側の「苦肉の策」だった。結果は罰金刑ながら、判決の認定は、危険運転罪を取り巻く状況を考えると、同乗者の責任追及に大きな風穴を開けたとは言える。
佐々木被告の起訴に際し、仙台地検は行為の外形も、生じた結果も危険運転のほう助だと判断したが、同被告に危険運転の認識がなかった点が壁となった。行為者の認識と生じた結果に食い違いがある「錯誤」は刑法上、結果で処罰できず、酒酔い運転ほう助罪を選択した。
余事記載のリスクを負いながらも、地検が錯誤を応用する形で訴因に危険運転の記載を盛り込んだのは、被害者側への配慮もあった。
被害者の存在を想定していない酒酔い運転ほう助のみでは、刑事訴訟法が定める被害者の意見陳述権が保障されない可能性があった。被害者らが切望した意見陳述の機会をつくるには、被害者の存在を前提とする危険運転致死傷の要素が必要だった。
昨年の道交法改正で飲酒運転をめぐる罰則が強化され、飲酒者に運転を依頼して同乗した場合の「同乗罪」が新設された。だが、罰則は3年以下の懲役か50万円以下の罰金で、最高10年の懲役が科される危険運転致死傷のほう助罪とは大きな開きがある。
前例のない訴因に前例のない事実認定で応えながら、罰金刑とせざるを得なかった判決は、危険運転罪やほう助罪の意義、刑罰以外の被害者支援の在り方に、さらなる検討が必要なことを物語っている。
(解説=報道部・若林雅人)
◎「罰金では違反切符と同じ」/遺族苦しめる矛盾
「危険運転」の高い壁が、またも被害者らの思いを遮った。
多賀城RV車事故で、酒酔い運転ほう助罪に問われた会社員佐々木大輔被告(30)の判決公判。
事故で次女の恵さん=当時(15)=を亡くした細井実さん(58)=仙台市泉区=は罰金刑の判決主文が告げられた瞬間、手を目元に当て、うつむいた。恵さんの遺影を封筒に入れ、法廷に持ち込んでいたが、「取り出して顔を見ることができなかった」と涙ぐんだ。
「危険運転の原因をつくったのは佐々木被告なのに、罰金刑では交通違反の切符を切られたのと同じ。被害者全員が納得しておらず、検察官には控訴をお願いした」
仙台市内で記者会見した細井さんは判決への不満を述べた後、「事故の悲しみが癒えない上、(判決で)苦しまなければならない。裁判は、法律は、何のためにあるのでしょうか」と訴えた。
危険運転罪は、飲酒運転の大型トラックによる追突事故で女児2人が死亡した1999年の東名高速事故を契機に、2001年に新設された。2人の母、井上郁美さん(39)=千葉市=は夫の保孝さん(58)とともに昨年、仙台育英高であったRV車事故の追悼集会で講演した。
郁美さんは今回の判決に「遺族にすれば同乗者の責任は運転者と同じ。なぜ、運転者と同じ危険運転致死傷罪のほう助にならないのか。危険運転の解釈に振り回され続けるご遺族を気の毒に思う」と気遣った。
福岡市で06年、3児が死亡した飲酒運転事故では、福岡地裁が危険運転致死傷罪の成立を認めず、業務上過失致死傷罪を適用。賛否について議論を呼んだ。
内田博文・九州大法学研究院教授(刑事法)は「危険運転罪は故意犯と過失犯の折衷で、不十分な位置づけのまま創設されたことが被害者を翻弄(ほんろう)している」と指摘。その現状を踏まえ「バランスを取った判決」と評価した。
どこが福島県大野病院事件と共通か。ある産婦人科の先生が書かれていました。被告の加藤先生を送検し何とか有罪に持ち込むために、警察・検察は遺族にことさらに被害者感情を植え付けようとした節があるということです。遺族が警察に訴え出た訳でもなく、民事訴訟を起こした訳でもないのに、この事件は無理矢理警察・検察が医師有罪を作り出そうとした構造と考えられます。
こうした動きの背景にあるのが、刑事裁判における応報主義ではないでしょうか。以前から書いて来たように、刑事罰は為した罪に対して法が定めた量刑を科すのが正しい考え方だと信じて来ました。被害者や遺族が加害者に恨みを持っているか否か、民事で和解が成立したとかしていないとか、そういうことで量刑が左右されるのは本来おかしいのではないかと考えています。
まして過失に対する刑事罰は、一切科さないのが理想的と思います。しかし現行法で量刑を決める必要がある場合に、遺族感情などを考慮するのはやはりおかしいと考えます。
本ニュース記事の書き方には疑問を通り越して怒りを覚えます。「飲酒運転による悲惨な事故を契機に創設されながら、立証の難しさで逆に被害者らを苦しめる危険運転罪は、限界を露呈しつつある。」とあります。どうして被害者を苦しめるのですか?酒気帯び運転を幇助した人の量刑が軽いと被害者がなぜ苦しむのでしょう。
被害者は運転者と幇助者から損害賠償と謝罪を得ることができてその内容に納得すればそれで全ての解決とすべきではないかと考えます。さらにその上に加害者を少しでも重い量刑の刑事罰に処させようとする考え方には同意できません。もし被害者がそれを強く望んでそのためにエネルギーを使っているのであれば、私はそこから先被害者に決して共感できません。
今までのニュース記事でも、こうした被害者や遺族が、事故の他の原因を追求し、信号機設置や改善=歩車分離など、アルコール検知器・エンジン不始動装置などの呼びかけにそのエネルギーを費やすことは気高いことと尊敬して来ました。一方で加害者の厳罰化にばかり怒りの炎を燃やしている姿はむしろ痛々しいし、度を過ぎれば見苦しいとさえ思います。
「遺族にすれば同乗者の責任は運転者と同じ。なぜ、運転者と同じ危険運転致死傷罪のほう助にならないのか。危険運転の解釈に振り回され続けるご遺族を気の毒に思う」というような発言を垂れ流し的に報道し、ことさらに被害者感情から応報主義によって厳罰化にばかりシフトさせようとする報道には、私は怒りを感じます。
世論をあおって、厳罰化を推進することが、良い社会を作るとでも思っているのでしょうか。
過失を刑事罰に処すのはやめて欲しいと思っています。その実現は今のところ難しいと思っていますが、少なくとも現行以上の厳罰化は何の意味も持たないと信じます。
多賀城RV車事故で飲酒運転の車に同乗し、酒酔い運転ほう助罪に問われた会社員佐々木大輔被告(30)の判決公判で、仙台地裁は19日、佐々木被告の行為が実質的に危険運転ほう助に当たると判断する一方、その認識がなかったことを理由に罰金刑にとどめた。飲酒運転による悲惨な事故を契機に創設されながら、立証の難しさで逆に被害者らを苦しめる危険運転罪は、限界を露呈しつつある。判決で、仙台地裁は「運転者の危険運転致死傷の犯行を容易にさせた」との起訴事実(訴因)通りに事実を認定した。
故意の認識が求められるなど構成要件が厳格で、立証が難しい危険運転のほう助罪で起訴された例はなく、今回の訴因構成は検察側の「苦肉の策」だった。結果は罰金刑ながら、判決の認定は、危険運転罪を取り巻く状況を考えると、同乗者の責任追及に大きな風穴を開けたとは言える。
佐々木被告の起訴に際し、仙台地検は行為の外形も、生じた結果も危険運転のほう助だと判断したが、同被告に危険運転の認識がなかった点が壁となった。行為者の認識と生じた結果に食い違いがある「錯誤」は刑法上、結果で処罰できず、酒酔い運転ほう助罪を選択した。
余事記載のリスクを負いながらも、地検が錯誤を応用する形で訴因に危険運転の記載を盛り込んだのは、被害者側への配慮もあった。
被害者の存在を想定していない酒酔い運転ほう助のみでは、刑事訴訟法が定める被害者の意見陳述権が保障されない可能性があった。被害者らが切望した意見陳述の機会をつくるには、被害者の存在を前提とする危険運転致死傷の要素が必要だった。
昨年の道交法改正で飲酒運転をめぐる罰則が強化され、飲酒者に運転を依頼して同乗した場合の「同乗罪」が新設された。だが、罰則は3年以下の懲役か50万円以下の罰金で、最高10年の懲役が科される危険運転致死傷のほう助罪とは大きな開きがある。
前例のない訴因に前例のない事実認定で応えながら、罰金刑とせざるを得なかった判決は、危険運転罪やほう助罪の意義、刑罰以外の被害者支援の在り方に、さらなる検討が必要なことを物語っている。
(解説=報道部・若林雅人)
◎「罰金では違反切符と同じ」/遺族苦しめる矛盾
「危険運転」の高い壁が、またも被害者らの思いを遮った。
多賀城RV車事故で、酒酔い運転ほう助罪に問われた会社員佐々木大輔被告(30)の判決公判。
事故で次女の恵さん=当時(15)=を亡くした細井実さん(58)=仙台市泉区=は罰金刑の判決主文が告げられた瞬間、手を目元に当て、うつむいた。恵さんの遺影を封筒に入れ、法廷に持ち込んでいたが、「取り出して顔を見ることができなかった」と涙ぐんだ。
「危険運転の原因をつくったのは佐々木被告なのに、罰金刑では交通違反の切符を切られたのと同じ。被害者全員が納得しておらず、検察官には控訴をお願いした」
仙台市内で記者会見した細井さんは判決への不満を述べた後、「事故の悲しみが癒えない上、(判決で)苦しまなければならない。裁判は、法律は、何のためにあるのでしょうか」と訴えた。
危険運転罪は、飲酒運転の大型トラックによる追突事故で女児2人が死亡した1999年の東名高速事故を契機に、2001年に新設された。2人の母、井上郁美さん(39)=千葉市=は夫の保孝さん(58)とともに昨年、仙台育英高であったRV車事故の追悼集会で講演した。
郁美さんは今回の判決に「遺族にすれば同乗者の責任は運転者と同じ。なぜ、運転者と同じ危険運転致死傷罪のほう助にならないのか。危険運転の解釈に振り回され続けるご遺族を気の毒に思う」と気遣った。
福岡市で06年、3児が死亡した飲酒運転事故では、福岡地裁が危険運転致死傷罪の成立を認めず、業務上過失致死傷罪を適用。賛否について議論を呼んだ。
内田博文・九州大法学研究院教授(刑事法)は「危険運転罪は故意犯と過失犯の折衷で、不十分な位置づけのまま創設されたことが被害者を翻弄(ほんろう)している」と指摘。その現状を踏まえ「バランスを取った判決」と評価した。
どこが福島県大野病院事件と共通か。ある産婦人科の先生が書かれていました。被告の加藤先生を送検し何とか有罪に持ち込むために、警察・検察は遺族にことさらに被害者感情を植え付けようとした節があるということです。遺族が警察に訴え出た訳でもなく、民事訴訟を起こした訳でもないのに、この事件は無理矢理警察・検察が医師有罪を作り出そうとした構造と考えられます。こうした動きの背景にあるのが、刑事裁判における応報主義ではないでしょうか。以前から書いて来たように、刑事罰は為した罪に対して法が定めた量刑を科すのが正しい考え方だと信じて来ました。被害者や遺族が加害者に恨みを持っているか否か、民事で和解が成立したとかしていないとか、そういうことで量刑が左右されるのは本来おかしいのではないかと考えています。
まして過失に対する刑事罰は、一切科さないのが理想的と思います。しかし現行法で量刑を決める必要がある場合に、遺族感情などを考慮するのはやはりおかしいと考えます。
本ニュース記事の書き方には疑問を通り越して怒りを覚えます。「飲酒運転による悲惨な事故を契機に創設されながら、立証の難しさで逆に被害者らを苦しめる危険運転罪は、限界を露呈しつつある。」とあります。どうして被害者を苦しめるのですか?酒気帯び運転を幇助した人の量刑が軽いと被害者がなぜ苦しむのでしょう。
被害者は運転者と幇助者から損害賠償と謝罪を得ることができてその内容に納得すればそれで全ての解決とすべきではないかと考えます。さらにその上に加害者を少しでも重い量刑の刑事罰に処させようとする考え方には同意できません。もし被害者がそれを強く望んでそのためにエネルギーを使っているのであれば、私はそこから先被害者に決して共感できません。
今までのニュース記事でも、こうした被害者や遺族が、事故の他の原因を追求し、信号機設置や改善=歩車分離など、アルコール検知器・エンジン不始動装置などの呼びかけにそのエネルギーを費やすことは気高いことと尊敬して来ました。一方で加害者の厳罰化にばかり怒りの炎を燃やしている姿はむしろ痛々しいし、度を過ぎれば見苦しいとさえ思います。
「遺族にすれば同乗者の責任は運転者と同じ。なぜ、運転者と同じ危険運転致死傷罪のほう助にならないのか。危険運転の解釈に振り回され続けるご遺族を気の毒に思う」というような発言を垂れ流し的に報道し、ことさらに被害者感情から応報主義によって厳罰化にばかりシフトさせようとする報道には、私は怒りを感じます。
世論をあおって、厳罰化を推進することが、良い社会を作るとでも思っているのでしょうか。
過失を刑事罰に処すのはやめて欲しいと思っています。その実現は今のところ難しいと思っていますが、少なくとも現行以上の厳罰化は何の意味も持たないと信じます。







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